武漢大学の国際フォーラムに日本からただ一人招聘講演
名古屋外国語大学名誉教授 川村範行
(東海日中関係学会会長、元東京新聞・中日新聞論説委員)
武漢大学主催の第9 回国境・海洋研究国際フォーラム(中国語表記:第九届边界与海洋研究国际论坛)が10月17、18 両日、中国武漢で開催され、日本からは只一人招聘を受けて「日中間の安全保障問題の解決と東アジアの不戦平和の維持」をテーマに講演した。
講演の結論にあたる「日中平和友好条約50周年の2028 年に条約の重要な精神である“不戦平和”の再確認を」及び「将来に向けて日中韓を軸とする東アジアの“不戦協力機構”の構築を」の提言については、会場の複数の学者から賛同を得た。
韓国、カナダ、シンガポール、ロシア、米国(オンライン)、ブラジル(同)の計7カ国からも参加し、それぞれ講演した。中国国内は武漢大はじめ北京大、復旦大、上海交通大、上海大、南京大、吉林大、雲南大など主要大学の研究院長、教授、副教授、院生計約80 名が参加し、代表的な学者がそれぞれ研究発表した。
国際関係や戦後処理、海洋法など極めてレベルの高い研究発表と活発な意見交換が行われた。国際法無視のトランプ・アメリカに対し、中国の学者はアメリカとイスラエルによるイラン戦争に関連し海戦法や海峡法など含めて法的対応を深く研究していることがうかがわれた。海洋資源問題や北極開発に関しても、中国の学者は法に基づく国際対応や国際協調の姿勢が顕著だった。
香港日報が10 月20日、「東南アジアニュース」(ネットニュース)で小役の講演内容中国語、ほぼ全文)を報道した(下記参照)。
https://mp.weixin.qq.com/s/qS3Yew1JYPnhIgVa3FHHHQ

武漢大学主催の国際フォーラムで招聘講演する筆者=2026年10月17日、武漢市内の会議場で
発言稿 「日中間の安全保障問題の解決と東アジアの不戦平和の維持」
※注:発言は中国語で行った。以下は日本語版原稿。講演時間が予定より短くなったため、実際の講演内容は中国語版原稿の所々を一部を短縮した。
1, はじめに
昨年11 月、日本の国会で高市首相が“台湾有事”に関して「存立危機事態(集団的自衛権を行使する)になり得る」と答弁したことをきっかけに、中国が抗議し、日中関係は冷え込んだままだ。政府間交流が一切途絶えていること(外交機能不全)が、1972 年の日中国交正常化以来、最も深刻な事態である。ほか経済貿易や地方交流や民間交流など広範囲に影響が及んでいる。対立が長期化すれば、安全保障面での緊張が高まり、日中間で偶発的な衝突のリスクさえ懸念される。
講演の要点は以下の3 点。
第一は、日中関係はなぜ深刻な危機に直面しているか。
第二は日中両国はどのような安全保障のリスクに直面しているか。
第三は、私たちは如何にして日中関係を改善するか。
最後に、日中両国は協力して「不戦平和」を維持し、東アジアの平和協力機構を構築する
ことを提案する。
2,高市首相発言の問題点は何処にあるのか
日本の現職首相が国会の答弁で、中国が台湾を武力で包囲した場合、米軍の援軍として集団的自衛権を行使する、即ち自衛隊を出動する “存立危機事態”になり得ると初めて示唆した。
日本が第二次世界戦後初めて中国に対し武力行使の可能性を示した。中国は日本を警戒し、日本を武力行使の対象として敵視せざるを得ない。東アジアの周辺国にも不安と警戒を呼び、安全保障上の緊張を生み出す。
3,
“存立危機事態”とは何か
「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」と、安全保障関連法で規定している。
しかし、高市首相発言が問題となって以降の昨年11 月25 日、政府は「存立危機事態」に関する閣議決定を行い、政府見解を文書化した。
「一般に、いかなる事態が存立危機事態に該当するかについて、事態の個別具体的な状況に即して、政府がその持ちうる全ての情報を総合して、客観的かつ総合的に判断することとなる」-。
4,高市首相発言問題は日中関係の基礎を揺るがす
日中関係の原点は、1972 年9月に日中両国首脳が合意した「日中国交正常化共同声明」にある。田中角栄首相と周恩来総理が北京で真摯な議論を交わした結果である。
共同声明の重要カ所を挙げる。
「日本政府は、中華人民共和国が中国唯一の合法政府であることを承認する。」(共同声明二、)
「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項*に基づく立場を堅持する」(共同声明三、)ポツダム宣言第8 項では、1943 年11月に「台湾、澎湖島など清国人から窃取した領土を中華民国に返還する」と規定したカイロ宣言に言及し、「カイロ宣言の履行」を明確に宣言している。
即ち、高市首相発言は、中国が「核心利益中の核心利益」とする台湾問題に踏み込み、内政干渉ともなり、日中関係の基礎を揺るがしかねない重大性がある。
さらに、1978 年に日中両国が批准した「日中平和友好条約」は重要な国際公約だ。
第1 条 両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
第2 条 両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
即ち、同条約は、貴重な“日中不戦の誓い”である。台湾での自衛隊による武力行使の可能性を示唆した高市発言は、日中平和友好条約に反する疑いがある。国際条約は国内法(安保法制)に優先するとの原則がある。同条約の時効は10年単位であり、条約締結50周年の2028年に、両国が“不戦”を含めた恒久的な平和友好関係などの条約内容を再確認するよう提案する。
5,高市内閣の問題点
日中関係は戦後80 年、国交正常化から54年、紆余曲折を得て発展してきた。同時に質的・構造的に変化してきた。日本、中国各国内の権力構造と国内世論の変化、安全保障環境の変化などが複雑に関係した結果である。
(1)日本の自民党政治は、親中派の宏池会と田中派(木曜クラブ)が首相を輩出し長く主流を占めていたが、2000 年以降、親台湾派の清和会による支配へと、大きく変わった。
清和会出身の首相は森喜朗-小泉純一郎(靖国参拝問題で日中関係は“政冷経熱”状態に)-安倍晋三-福田康夫(胡錦濤国家主席を国賓として迎え「戦略的互恵関係の包括的推進」に合意)-麻生太郎-〈民主党政権を挟んで〉安倍晋三(尖閣国有化問題で日中対立したが、現実的対応で徐々に関係改善)-菅義偉-岸田文雄(もともと宏池会出身だが安倍路線を継承)-石破茂(日中関係改善に努めたが短命で退陣)。そして、現在の高市早苗首相である。
高市内閣は、本人も含めて主要閣僚、党幹部とも日本台湾友好議員連盟所属で、歴代の内閣では例を見ない強硬な反中内閣と言える。日中戦争・アジア太平洋戦争は「自衛のための戦争」「アジア植民地解放のための聖戦」と主張し、侵略戦争と認めない歴史修正主義者が多く、天皇による政治“皇国史観”に共鳴している。
日中国交正常化に貢献した創価学会、及び創価学会を母体に成立した公明党が日中両国間の重要なパイプ役だったが、公明党の与党離脱により、パイプ役機能が弱まった。日本台湾友好議員連盟は現在、会員300 名以上で外交関係にない日台間の緊密化を図っている。伝統的な日中友好議員連盟は力量低下が否めない。
(2)日本国内世論が1970 年代、80年代の日中友好から2000 年以降の反中・嫌中へと大きく変わったことが大きい。中国への好感度は1980 年の78.6%をピークに低下し、現在は僅か10 数%に低迷、逆に不好感度が80%強となっている。
(3)中国側の変化も挙げられる。集団指導体制・鄧小平路線から習近平一強体制へと変化した。習近平体制は「中華民族の偉大な復興」を掲げて、今世紀半ばまでに超大国「強国」になるとの目標に向けて邁進している。
日中双方は互いを敵視しないこと、安全保障上のジレンマを深めないこと、一触即発の偶発的衝突を防ぐこと-について基本的な共通認識を持つことが重要と考える 。
6,安全保障上のリスク
日中間の“不測の事態”は近年、実際に起きている。2024年7月4日、中国浙江省の沖合で海上自衛隊の護衛艦「すずつき」の艦長が誤って中国の領海に侵入するという前代未聞の事案が発生した。1954 年の自衛隊創設以降、事前の通告なく中国領海を航行するのは初めて。中国の艦船から2 発の警告射撃がなされたが、幸い命中はしなかった。「すずつき」は操作ミスによる危険な航行だった。
深刻な問題は、両国防衛当局間のホットラインが使われていなかったことだ。「すずつき」の領海侵入事犯の翌月の8月26日に、長崎県・男女群島沖で中国軍Y9情報収集機による領空侵犯が発生した。これも前代未聞の危険な事犯だったが、この時にもホットラインが使用されなかった。
2007 年に日中首脳が不測の事態を回避するため「海空連絡メカニズム」の柱となるホットラインの設置で合意した。その後、尖閣問題などで日中関係が悪化したため、23 年3月末にようやく回線設置が完了し、防衛省は同年5月、運用開始を発表している。
高市首相発言以降、東シナ海や南シナ海の海・空で中国人民解放軍と自衛隊がお互いを刺激するような活動に出ている。国民感情も悪化している状況下で、防衛ルートも外交ルートも十分機能しなければ、最悪の事態へと突き進むことが危惧される。日中両国の防衛関係機関がホットラインなどによる事故防止の連絡体制を確立するよう強く求めたい。
7,日中関係修復のシナリオ
今年9 月に刊行した拙著『日中「冬の時代」の行方 国交半世紀の歴史から見る現在地と出口』(花伝社)の第9 章に詳述した。その要点を以下に記す。
先ず、日中両国首脳が関係修復への意思を直接・間接に示す。そうすれば外務省間で修復策を協議し、政治家も動く。次に、“親書”作成から首脳会談へと進むのが目標となる。高市首相は昨年11 月10日の国会答弁で「反省として今後、特定のケースを想定した明言を慎む。11 月7日の(存立危機事態)発言を政府統一見解としない」と、事実上の“修正”をした。ほかに、昨年11 月、12 月の国会で「存立危機事態に関し従来の政府見解に変わりない」「(日中共同声明で台湾に関する中国政府の立場を十分理解し尊重するとの)日本の立場に一切の変更はない」「(村山首相談話含めて)歴史認識に関する歴代内閣の立場を引き継いでいる」などと、自らの信念を封じる発言を重ねた。こうした国会での修正発言を丁寧に文書(親書)にまとめ上げることを提起する。
加えて、国交正常化共同声明など日中間の政治4文書と「4 項目の共通認識」の確認、歴代首相の見解「台湾の独立を支持しない」を親書に明記することだ。
問題は“特使”-。2014 年には福田康夫元総理が“特使”となり、安倍首相と習主席の首脳会談を仲介した。この時、外交当局間で「4 項目の共通認識」文書を作成した。2017年には二階俊博・自民党幹事長が安倍首相の親書を習主席に手渡し、第三国での「一帯一路」への協力を表明。安倍・習首脳会談は10回に及び、関係改善は軌道に乗った。現状で誰が両国首脳の仲立ちをし、誰が高市首相の親書を中国側に手渡すかである。
8,関係修復へのシグナル
今年8 月以降、日中交流の窓が2 カ所で僅かに開き始めた。
(1)中国の名古屋総領事館が8 月に学者・歴史教育者訪中団、中部地区大学生訪中団、愛知県高校生訪中団を相次ぎ派遣し、大阪総領事館は9 月に学者訪中団をした。
周恩来総理は日本との国交回復に向けて「民を以て官を促す」“以民促官”という対日方針を掲げたが、現代に於ける“以民促官”の再現である。相互交流による相互理解の道を広げることが日中関係の基礎作りとなる。
(2)議員訪中として、伊佐進一・衆院議員(旧中道、公明復帰)ら3名が訪中、8 月27日に中国共産党中央対外連絡部の副部長(副大臣クラス)と会談した。続いて日中友好議員連盟の超党派議員8 名が訪中、9月14 日に外交部次官補(部長に次ぐ局長級)と会談し、外交部が高市発言後初めて国会議員に対応した。
(3)9 月28日、29日、北京で国貿促訪中団団長の岩屋前外相に王毅政治局員・外相、何立峰副総理が会談したのは、高市発言以来、初めて現職閣僚が応じたことになる。王毅氏が「喫緊の課題は、指導者の誤った言動を是正する(中国語「糾正」)こと」と述べたのは、従来の高市発言の「撤回」から緩和したことになり、関係修復への明確なシグナルである。王毅氏が「歴史問題で正しい態度を取れないなら、未来を切り開くと語ることなどできない」と歴史問題でクギを刺す一方で、「国貿促が重要な時期に中日関係の改善と発展に力を発揮すると信じている」と、関係改善への期待を明言した。何立峰副総理は「両国の経済貿易関係は緊密。今後の両国の発展を推進できると確信」と、経済貿易関係の再開に意欲を表明した。岩屋団長は「日中関係の改善のために最善の努力をする」と誓っている。高市政権が中国側のサインをきちんと受け止めてボールを投げ返せば、関係修復への糸口が開ける重要なチャンスである。
結論
世界は百年に一度の大転換期に直面している。戦争や地球温暖化問題、AI進化などの困難な課題に対して、日中両国は大局に立って、中国の成語曰く「同舟共済」、協力して難局を乗り越える必要がある。
高市政権は「防衛力の抜本的強化」を強調しているが、最も必要なことは「外交力の抜本的強化」である。私は日本国内で、武力ではなく対話による平和外交を一貫して訴えている。戦後80 年間、日本と中国は戦火を交えず、双方の努力により不戦平和を維持してきた。私は、日中「不戦平和」を維持し継続することが、21世紀に於ける日中両国の共通目標となると、強調する。将来的には、日中韓三カ国を中心に「東アジア不戦機構」構築へと進むのが望ましい。